秋の足音が聞こえてきました。雨が降ると寒く感じ、快晴の日は、まだ暑さを感じます。身の回りの風景は、ゆっくりと、夏から秋へと変化しているようです。






















秋の足音が聞こえてきました。雨が降ると寒く感じ、快晴の日は、まだ暑さを感じます。身の回りの風景は、ゆっくりと、夏から秋へと変化しているようです。
台風がきたり、猛暑日や極暑日になったり、いろいろ外出には不向きな日が続いています。今月は遠征は控え、豊橋近郊で自然観察を続けています。
暑い日が続いています。湖畔、海岸、海洋に出かけ、夏にみられる動植物や野鳥観察を続けています。
台風が来たり、猛暑日があったり、天候の抑揚が例年になく激しいように感じます。
植物・昆虫・野鳥の世界では、天候の変化を感じてか、例年の初夏よりも少し早く、それぞれの種の最盛期を迎えているようです。
植物なら、その花の満開期、昆虫(特に蝶)なら、それが最も多くみられる時期、夏鳥に代表される野鳥(オオルリなど)なら、日本に来てから、「オス」のさえずりにはじまり、ペア作り、巣作り、幼鳥への給餌期まで、あっという間に進行しているように思います。
これを最も顕著に感じるのは、たとえば、ある週の週末に観察できた風景が、次の週末には、全く観察できず、すっかり景色が変わってしまうことが、しょっちゅうあります。初夏がその変化の速さをもっとも感じます。
こういう状況を観ていると、いやがおうでも、Don’t miss a chance (機会を逃すな)ということを再考させられます。日本にある言葉なら、「一期一会」といってもいいかもしれません。
自分自身、振り返ると、結構、チャンスを逃してきたなあ、と反省します。変化の激しい自然界から、また、人生教訓を教えられている今日この頃です。
公園や森で聞こえてくるウグイスの声も美声になり、新緑がとてもまぶしい時節になってきました。暖房も冷房もいらないので過ごしやすいですね。夏を感じる好天の日もあれば、梅雨の走りのような雨天の日もあります。
鳥の世界では、冬鳥がシベリアやアラスカなど、北に繁殖のため帰り、代わってツバメなどの昆虫を食べる夏鳥がやってきています。また、シギやチドリに代表される旅鳥は、4月から5月に日本で一時休憩して、冬鳥同様に、北方の地で、繁殖活動に入ります。毎年のことではありますが、季節を感じるのは、自然界の連鎖、すなわち、新緑の植物→昆虫の増加→(その昆虫を食べる)夏鳥の飛来、旅鳥や冬鳥の北帰行を見ていて感じます。でも、鳥っていいですね、空を飛べるだけでなく、パスポートなしでいろいろな国に飛んでいけますから。北に向かう旅鳥や冬鳥には、旅の無事と北方での繁殖活動の成功を祈り、日本に来てくれたツバメに代表される夏鳥には、南方から日本までの長旅に「お疲れ様」と声をかけ。日本での繁殖活動がうまくいくよう祈りたいと思います。
いずれにせよ、野鳥の存在は、自然環境のバロメータであることは間違いありません。自分でも言い聞かせているのですが、SDGsのゴールの中には、15(海の保全)、16(陸の保全)が含まれていますが、海や陸の環境を損なうことがあるとしたら、それは(ほとんどの場合、天災よりも圧倒的に)人間のせいであり、逆に、保護しながら、持続可能な社会を維持することができるのも人間なのです。
春の自然観察です。毎年の自分の恒例ですが、春には近隣の山に登り、峠(風越峠)付近だけに密かに咲くキスミレ(愛知県では絶滅危惧IA類)や白い花弁のカタクリ(シロバナカタクリ)を観ることから始まります。
3月になり、学会で沖縄とシンガポールに行く機会がありました。天候にも恵まれ、とても充実した出張となりました。
技科大にきて、次の4月で20年目のシーズンになります。というこで、いろいろな思い出写真をまとめて紹介します。
日本の風景など
秋らしい日もあれば、肌寒かったり、暖かかったり、今年の10月は気候変動が大きいようです。
アサギマダラは、蝶にしては、珍しい、「旅する蝶」です。ここ東海地方では、10月に最もよく観察できます。
一方、9月10月は旅鳥に出会える季節です。ヒタキ類の一部(例 エゾビタキ)やシギ・チドリの仲間のほとんどは、繁殖地(北極海沿岸、シベリア、アラスカなど)と越冬地(東南アジア、オーストラリア、アフリカなど)の中継地として、日本に、ちょっとだけ立ち寄ります。このような野鳥は旅鳥と呼ばれます。春の渡り(4月5月)でも見られることがありますが、秋の渡りのほうが数が多い種類の野鳥が結構います。エゾビタキ、オグロシギなどは、この代表例かと思います。なお、日本で繁殖する夏鳥(代表例 ツバメ)も、ほとんど9月10月に南の越冬地に帰っていきます。
小さい野鳥が、世代を変えながらも、毎年地球上を何百キロ、何千キロも飛翔し、繁殖地と越冬地を、途中、中継地を経て往来しているという事実は、奇跡としか思えません。