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バングラデッシュにて

どこか昔なつかしい風景を見たような気がした。9月17日~20日まで、バングラデッシュ第2の都市チッタゴンの北部に位置するチッタゴン大学に招待講演を兼ねて視察に出かけた。チッタゴンへはダッカ空港(写真)からガンジス川を越えて国内線(プロペラ機)で1時間たらず。チッタゴン市は首都ダッカに次ぐ第二の都市ということもあるが、非常に人口密度が高く、早朝から深夜まで、道には人、三輪の小型トラック、「リキシャ」と呼ばれる「幌つき自転車」、自動車、トラック、バス等が引っ切り無しに行きかい、喧噪な上、普請中の箇所が多く、交通渋滞があちこちで発生していた。現地の車の動力源は、天然ガスで道路の至る所に給ガス所があった。実際、天然ガスはバングラデッシュの数少ない自給できる資源とのことである。チッタゴン空港からは車で2時間、北へ行ったUniversity Road沿いに、チッタゴン大学の様々な学科が別の建物で点在している。1,700エーカー以上あることからも、面積にして技科大の63倍という非常に広大な敷地で、学内には鉄道やバスの駅も点在していた。学生数は2万人以上という総合大学であるため、学内には人があふれ、非常に活気に満ちていた。チッタゴン大学は国立(パブリック)大学であり入学競争率が100倍程度の狭き門とのことである。計算機工学学科(Department of Computer Science and Engineering)は、1200人程度のサイエンス系の入学者のあこがれの的らしく、そこからたった30人だけが進学できるとこのことで、医学部に次いで理科系では競争率が高いとのことだった。計算機工学学科はIT buildingと呼ばれる建物の3~4階にあり、本学で博士号を取得したHanif Seddiqui君(集合写真の右から3人目)のオフィスは本学の学長室くらいの広さの部屋で10名近いスタッフが、入れ替わり出入りし、学科長である彼のサインを要求していた。ハニフ君の研究室も見学させてもらった。6~7名の学生が部屋にいて、早朝から深夜まで勤勉に計算機で研究をしている学生もいるとのことだった。

到着の翌日、大学の事務局本部で学長(Vice Chancellor、写真の右から4人目)Anwarul Azim Arifさんに会って話す機会をもらった。ちなみに、大学の事務組織は英国式であり、Vice Chancellorが大学のトップである。国立大学であるためChancellorは、バングラデッシュのPresidentが兼ねているそうである。また、Pro-Vice Chancellor(副学長)のMd. Alauddinさん(写真の左から4人目)とも面会したが、とても気さくな人で、3日目の夜、皆で市内に出て会食したあと、ゲストハウス(写真参照)まで送ってくれ、別れ際に不意にハグされた。現地でいろいろな教員に出会ったが、地位を得ている人は、英国をはじめ、カナダ、日本等で学位を取得している人であることがわかり、計算機工学学科でも講師のうち、まだ博士の学位のない8名前後の若い教員が、目下、諸外国でPh.Dを取得中とのことだった。3日目に行われた招待講演(写真参照)では、青野のほか、現地の3名の計算機工学学科の教員が代わる代わる現在の研究内容を発表し意見交換を行った。その後、学生のポスター発表があり、最後に相互の文化交流を行った。また、同日、偶然であるが日本で留学経験のある教員や学生による第一回の集会があり、ゲストとして呼ばれた。

バングラデッシュに行く前は、日本人でも東京のバングラデッシュ大使館に行き、ビザ取得が必要であること、貧困や人口の増加と都市の過剰な人口密度に苦しんでいるとされることなど、マイナスのイメージが多かった。現地に行って実際に見て感じたことは、事前のイメージがある程度あたっていたが、チッタゴン大学自体はチッタゴン市の郊外の、比較的静かな環境にあること、構内は緑(ジャングル)が多く、牛(写真参照)や犬など動物・植物を含み自然が多く、意外とくつろげる印象をもった。ゲストハウスの外には朝食用のテラスがついていた(写真参照)。日本から現地に往来する時間を含め、いろいろな意味でとても勉強になった一週間であった。